



ローマ セステルティウス黄銅貨 54~68年 ネロ NGC Ch-VF 5/5 2/5
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ユリウス=クラウディウス朝最後のローマ皇帝ネロの治世に発行されたセステルティウス黄銅貨。ローマ帝国の貨幣は大きく分けて、前期、中期、後期の3つの時代に区分される。中でも、前期の貨幣は品質が高いことや人気の皇帝が多いことから、最も高額で取引される。前期の中でもユリウス=クラウディウス朝の帝政初期の貨幣は人気が極めて高く、入手も困難で、取引価格も高額な傾向にある。
セステルティウスはアス銅貨2.5枚分に相当する額面を持った。アスが純銅であるのに対し、セステルティウスは黄銅(真鍮)で造られており、当時は鈍い金色を呈していた。セステルティウスは大型の貨幣であり、その分彫刻も繊細に描写されることから、芸術性が高いものが多い。そのため、銀貨よりも市場では高額で取引されるものも多い。
本品には、ローマ皇帝ネロとヤヌス神殿の門が描かれている。ネロはユリウス・クラウディウス朝の5代目の皇帝で、幼少から即位した少年皇帝だった。4代目の皇帝クラウディウスには3番目の妻メッサリナとの間にブリタニクスという男児がいた。ブリタニクスはクラウディウスの直系の息子であるため、継承順位は1位だったが、アグリッピナは前夫との連れ子ネロを皇帝に即位させることを目論んでいた。そこで、アグリッピナはブリタニクスの排斥と夫クラウディウスの暗殺を計画。
歴史家タキトゥスによれば、ロカスタという毒殺専門の暗殺者が毒キノコを入手し、彼の部下ハロトゥスがクラウディウスの食事に混入させたという。一方、カッシウス・ディオはアグリッピナが毒を盛ったと述べている。いずれにせよ、ネロは即位の経緯が闇深い。そして55年、ブリタニクスは危険分子としてネロの命令で暗殺される。
ネロは即位後の約5年間、ネロは家庭教師の哲学者セネカの指導の下、善政を敷いた。セネカは『人生の短さについて』『怒り』など、現代でも読み継がれる名著を手掛けたストア派の哲学者だった。若い頃のネロはアシア属州出身の解放奴隷アクテを寵愛しており、彼女との結婚を強く望んでいた。だが、母アグリッピナに反対され、53年、クラウディア・オクタウィア(クラウディウスの直系の娘)と政略婚した。
59年、ネロは何かと干渉する母を疎み、暗殺を計画。沈没するように仕掛けた舟にアグリッピナを乗せ、舟は計画通り沈没したが、アグリッピナは泳いで岸辺に辿りつく想定外の結果となった。困ったネロは刺客を送り暗殺。62年、オクタウィアを気に入らず、罪を捏造して流刑にした後、自害を命じた。その後、ネロは友人オトーの妻でポンペイ出身の美女ポッパエア・サビナに恋をする。そこでネロはオトーをルシタニア属州に左遷し、ポッパエアを奪って正妻にすした。だが、65年、些細な口論でポッパエアを殺害。同年、ネロは自身の暗殺に関与したと決めつけ、家庭教師セネカに自害を命ずる。
ネロの支持率が低下していく中、決定的な出来事が起こる。穀物の価格が高騰する中、エジプト属州からの輸送船に穀物でなく、剣闘競技場のフィールド用の砂を積載していたことが民衆に知られる。これを好機と見た元老院はネロを「国家の敵」とし、ヒスパニア属州総督ガルバを新皇帝として擁立。68年、ネロは逮捕を恐れて解放奴隷パオラの別荘に身を潜めたが、追手の騎兵隊らの足音を聞き、恐怖で自死した。
尚、ネロと言えば、キリスト教徒の大迫害のエピソードが有名であるが、これは誤って伝えられた情報である。ネロのキリスト教徒弾圧について触れている書はタキトゥスのみとなるが、タキトゥスの写本は12世紀の写本しか現存せず、こちらはキリスト教徒によって写されたものだった。そのため、ネロはユダヤ人のゼロテ派の革命家クリスティアヌスを弾圧したのだが、キリスト教徒を弾圧したと誤って写されてしまった。以後、ネロによるキリスト教の大迫害という誤った情報が流布し、現在でも多くの書籍にそのように記載されている。だが、実際のところ、当時のキリスト教徒はまだ少数派であり、ローマ人はユダヤ教徒とキリスト教徒の区別もついていないほどだった。
裏側のヤヌス神殿の門は、ローマが戦争時は開かれ、平和時は閉じられた。閉門したこのヤヌス神殿の描写は、ローマが平和を祈っていることが読み取れる。実際、ネロの治世では多くの戦争があった。後の皇帝ウェスパシアヌスとその息子ティトゥスが指揮したユダヤ戦争に始まり、ガリア属州総督ウィンデクスの反乱など、争いに絶えなかった。
品番: 261005550109
重量: 25.6g
直径: 34.0*34.0mm












