



オーストリア 銀メダル 1793年銘 マリー=アントワネット追悼 NGC AU Details
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市場でも滅多にお目にかかれない大変稀少な銀メダル。
Details評価かもしれないが、そうした数字の指標より、歴史的価値を見出してほしい一枚。
マリー=アントワネットの肖像、樹木の背後にラテン語による追悼文が記されている。
刻印されているラテン語銘文は下記の通り。
MARIA ANTONIA AVSTRIACA(オーストリアのマリア=アントニア)
マリア=アントニアは、マリー=アントワネットのドイツ語名。マリー=アントワネットとは、フランス読み。「オーストリアのマリー=アントワネット」という言い方から、王妃の祖国オーストリア側の製造品と分かる。
PERDV ELLIVM FVRORIS VICTIMA XVI OGTOFRIS MD C C XCIII(反逆と狂気の犠牲者 1793年10月16日)
王妃をフランス革命の犠牲者と記し、その死を慈しむ追悼文。王妃が処刑された日付まで記されている。オーストリアはマリー=アントワネットの故郷であり、外国に嫁いだ娘は二度と帰国できない決まりだった。フランス革命による王妃の死の知らせを受け、ハプスブルク王家及びオーストリア国民は悲嘆に暮れた。
フランスからは、「オーストリシェンヌ(オーストリアの雌犬)」や「赤字夫人」などと渾名され叩かれていたマリー=アントワネットだったが、フランスは彼女が嫁ぐ前から返済しようがないほど膨れ上がった負債を抱えていた。実は王妃が豪遊した金額は、国家レベルで見ればあまり大したものではなかったものの、飢える国民には王妃の贅沢でフランスが困窮しているように映った。王妃は自分の見せ方が下手だったことは確かだが、当時のフランスは構造的にどうにもならない状態にあり、そうした状況に放り込まれた不運な女性だったとも言える。
王妃とスウェーデンの貴公子アクセル・フェルセンの特別な関係性については証拠不十分なゴシップとする説もあるが、スウェーデン側の資料に二人の関係性を決定づけるものが存在する。スウェーデンのフランス大使クロイツは、国王グスタフ3世に宛てた手紙の中で、王妃とフェルセンの秘密の関係性を幾度も目撃したが、この件は内密に願いたいと記している。また、王妃がヴァレンヌ逃亡事件を機にヴェルサイユ宮殿から引っ越した後、隠し部屋が発見された。王妃の部屋から秘密の階段で繋がるこの隠し部屋で、フェルセンと密会していたのかもしれない。
品番: 261005550115
直径: 46.0mm












